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『昔はあったお仕事』
今回は 『昔は こんな仕事あったよねぇ~』と言うお話し
『ん~~ あったあった』
『うそ~ 聞いたことないよ~』 いろいろご意見はございますでしょうが・・・
私が子供時代には普通にあったのに今は殆ど見かけない職業の思い出・・・
その1
『チンドン屋さん』 最近TVのバイト探しのCFか何かでワンシーンが出てましたが あまり見かける事はなくなりましたね~
一般的な楽団?編成は 太鼓と鐘を縦に並べた楽器(これが チンとドン でチンドン屋の語源となったという説が有力です) と クラリネット 三味線 の三人編成が多かった気がします。
商店街やス-パ-のオ-プンなどにチラシを配りながら町を練り歩いたものです。
心が浮き立つようなあの音色を 皆が笑顔で眺めたものです。
私は子供ごころにあこがれて いつか りっぱなチンドン屋さんになりたいと 心密かに考えたりしたものです。
中には 音楽につられて 遠くまで ついて行き 迷子騒ぎになった子供まで出る始末でした
・・・確か 西洋の童話でそんな話がありましたが まさに それの実写版です 違うか!!
その2
「ヒヨコ屋さん」 小学校の校門を出たあたりに 子供が帰る時間を狙って店を出してました
みかん箱くらいのプラスチック(もしくは段ボール)箱にヒヨコがギュウギュウ詰めにされて売っていました。たしか一羽30円~50円くらいだったように記憶してます
のちにはピンクや赤、青、緑 等 カラフルに色付けされた カラ-ヒヨコなるものまで登場しました。
いずれにしても動物愛護団体がみたら 頭から湯気が出そうな状態です
口上は大体決まっていて 「ニワトリになったら毎日 卵を生んでお母さんも 大喜びだよ~」っというようなものでした。
つられて 友達と二人で二羽買い 友達の家で 育てましたが 卵を生む気配も一向になく 二羽とも トサカ が出て来ました
「おんどりゃ~(雄鶏)なにするんじゃ~」
後で聞いたところによると 「全くのインチキ商売でメスなんて一匹もいないし 元々病気とかで養鶏
場から廃棄されるヒヨコをただ同然で あるいは廃棄料を取って仕入れていたそうです」
ですから私たちのようにニワトリまで成長したのは運がいい方で ほとんどは買ってから2~3日で死んでしまったそうです
いい時代だったよね~ よくあれで取り締まられないよね~
子供を騙すのは悪いし 殆ど動物虐待だけど 今の 「オレオレ詐欺」なんかより はるかに罪がないよね~
同じ犯罪でもまだペ-ソスのあった時代 そうは思いませんか???
『紙芝居屋さん』 自転車の後ろに紙芝居の道具を積んで町々を流し歩き 子供相手にお菓子を売り 買った子供だけに紙芝居を見せるという 資本主義の残酷さを垣間見るような商売でした。
お菓子の買えない子供は 遠くの電信柱の陰から見たりしてました。
お菓子は確か 5円とか10円だったと記憶してますが 酢イカ(酢につけた食紅で真っ赤に色付けしたイカ) や水あめ、ニッキ紙(紙にニッキの味がつけてあり味がしなくなると紙だけ吐き出した) 塩昆布、キナコ?飴 等でしたが
現代の食品基準には 全く適合しない食品であった事は間違いないと思います。・・・多分
肝心の紙芝居の演目ですが 当時人気のあった 黄金バットが多かったと記憶しています
最後は いつも黄金バットがピンチになった所で
「続きは次回のお楽しみ~」となるのですが、次に来るときは、別の紙芝居屋さんで
また初めから話しが始まり
ピンチになった所で 「続きは次回のお楽しみ~」
最後がどうなったのか 私はいまだに知りません
そろそろ時間となりました 「続きは次回のお楽しみ~」
提供は 腰痛ならなごみ 肩こりもなごみ でおなじみ
皆様の整体院 健整院 なごみ でした
By おっさん
『ん~~ あったあった』
『うそ~ 聞いたことないよ~』 いろいろご意見はございますでしょうが・・・
私が子供時代には普通にあったのに今は殆ど見かけない職業の思い出・・・
その1
『チンドン屋さん』 最近TVのバイト探しのCFか何かでワンシーンが出てましたが あまり見かける事はなくなりましたね~
一般的な楽団?編成は 太鼓と鐘を縦に並べた楽器(これが チンとドン でチンドン屋の語源となったという説が有力です) と クラリネット 三味線 の三人編成が多かった気がします。
商店街やス-パ-のオ-プンなどにチラシを配りながら町を練り歩いたものです。
心が浮き立つようなあの音色を 皆が笑顔で眺めたものです。
私は子供ごころにあこがれて いつか りっぱなチンドン屋さんになりたいと 心密かに考えたりしたものです。
中には 音楽につられて 遠くまで ついて行き 迷子騒ぎになった子供まで出る始末でした
・・・確か 西洋の童話でそんな話がありましたが まさに それの実写版です 違うか!!
その2
「ヒヨコ屋さん」 小学校の校門を出たあたりに 子供が帰る時間を狙って店を出してました
みかん箱くらいのプラスチック(もしくは段ボール)箱にヒヨコがギュウギュウ詰めにされて売っていました。たしか一羽30円~50円くらいだったように記憶してます
のちにはピンクや赤、青、緑 等 カラフルに色付けされた カラ-ヒヨコなるものまで登場しました。
いずれにしても動物愛護団体がみたら 頭から湯気が出そうな状態です
口上は大体決まっていて 「ニワトリになったら毎日 卵を生んでお母さんも 大喜びだよ~」っというようなものでした。
つられて 友達と二人で二羽買い 友達の家で 育てましたが 卵を生む気配も一向になく 二羽とも トサカ が出て来ました
「おんどりゃ~(雄鶏)なにするんじゃ~」
後で聞いたところによると 「全くのインチキ商売でメスなんて一匹もいないし 元々病気とかで養鶏
場から廃棄されるヒヨコをただ同然で あるいは廃棄料を取って仕入れていたそうです」
ですから私たちのようにニワトリまで成長したのは運がいい方で ほとんどは買ってから2~3日で死んでしまったそうです
いい時代だったよね~ よくあれで取り締まられないよね~
同じ犯罪でもまだペ-ソスのあった時代 そうは思いませんか???
その3
『紙芝居屋さん』 自転車の後ろに紙芝居の道具を積んで町々を流し歩き 子供相手にお菓子を売り 買った子供だけに紙芝居を見せるという 資本主義の残酷さを垣間見るような商売でした。
お菓子の買えない子供は 遠くの電信柱の陰から見たりしてました。
お菓子は確か 5円とか10円だったと記憶してますが 酢イカ(酢につけた食紅で真っ赤に色付けしたイカ) や水あめ、ニッキ紙(紙にニッキの味がつけてあり味がしなくなると紙だけ吐き出した) 塩昆布、キナコ?飴 等でしたが
現代の食品基準には 全く適合しない食品であった事は間違いないと思います。・・・多分
肝心の紙芝居の演目ですが 当時人気のあった 黄金バットが多かったと記憶しています
最後は いつも黄金バットがピンチになった所で
「続きは次回のお楽しみ~」となるのですが、次に来るときは、別の紙芝居屋さんで
また初めから話しが始まり
ピンチになった所で 「続きは次回のお楽しみ~」
最後がどうなったのか 私はいまだに知りません
そろそろ時間となりました 「続きは次回のお楽しみ~」
提供は 腰痛ならなごみ 肩こりもなごみ でおなじみ
皆様の整体院 健整院 なごみ でした
By おっさん